北欧郵便史(アラカルト)1
Scandinavian Postal History 1
志垣 雅文
はじめに
郵便史とは何でしょうか.日本においては,ほとんどの方が切手のコレクションされており,その延長線上で郵便史を収集しています.この分野は日本においては比較的新しい分野であり,それを専門にしている人の解説や議論においても明確な定義等はされていません.また,国際展の規定でも極めて曖昧な表現がなされています.この中で極めて明確にいえるのは次のようなことではないでしょうか.
日本では1871年切手の発行と郵便開始が同時に始まり130 年弱の歴史を持っていますが,北欧諸国の郵便は今から370
年も前の1624〜47年に始まりました.切手は1851〜56年に発行されましたから, 切手発行以前の歴史の方が切手発行後の歴史より長いという特徴を持っています.
これを時間軸で見ると図1のような線で認識ができます.
切手のコレクションではどんなに頑張っても存在しない物を対象とすることはできませんから、実線以前には逆上ることはできません.しかし,日本と違って北欧諸国は切手以前に郵便は存在しました.切手発行以前の200年以上におよぶコレクションは郵便史と言う形でしか実現することができません.日本の郵便史をコレクションしている多くの方はたまたま日本が郵便の開始と切手発行が同時であったため,郵便と切手が一体であるかのような認識を持つと思います。郵便史を収集している人も切手収集からスタートしているので、切手が重要な位置を占めるのは当たり前の事です。
しかし、切手の収集ではその対象範囲が切手発行以降しかないのに比べ, 郵便史では遙か中世まで逆上って収集することが可能で, その時間的な広がりは切手収集とは別な広大な郵趣の世界を提供するものです. また,
この点が切手収集 (伝統郵趣) と決定的に違う郵便史の要素であり, 醍醐味であると筆者は考えます. 言い換えれば,郵便史は切手の歴史ではありません.したがって,まず切手から意識を外す必要があります.
では郵便史は何を対象とするのでしょうか.主に郵便によって運ばれた手紙を用い, 郵便に関連するそれぞれのテーマについて展開していくことが収集対象となります.このテーマが国際展の規定に書かれている, 郵便料金だったり,郵便ルートだったりするわけです.
さらに例を考えると,切手のコレクションの世界では切手発行以前はPre adhesive era (切手貼り付け以前の時代) とし,その手紙等もそのように呼んでいます.そして,切手の発行は切手のコレクションにおいては重要な境となっています.しかし、切手発行以後も切手無しの正式なカバーが登場します.なぜかと言う問いに郵便史では、切手導入前後の事情を分析するため、問題なく説明できるでしょう.切手を主体的に見ると、このような現象は説明できませんし、説明する必要もありません。
日本の郵便 1871 年 現代 ― − − − − ― − − − − − − − ― − − − ○――――――― 郵便開始、切手発行 北欧4か国の郵便 1624年〜1647年 1851〜1856年 現代 − − − ○=====================○――――――― 郵便開始 切手発行 図1 日本と北欧4か国(デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド)の郵便の流れ
これは長い北欧の郵便の歴史を見るものです. 北欧切手部会会報「FINDS」に掲載した記事と同じテーマですがより詳しく掲載します。内容はできるだけ日本と違う郵便事情や、今の切手収集の要素になるような事柄を取り上げて、多くの方の役に立つように構成して行きたいと思います。
また、社会からの影響も大きくその内容も把握する必要があります. 特に古い時代になると,現在の常識で物事を考えてしまうと,その当時の現象が何故そのような事が行われていたか分からなくなります.例えば、19世紀当時蒸気船による郵便逓送が行われ、封筒に「蒸気船にて」と書くことが行われましたが,この現象も当時の社会状況を良く理解しないと何故封筒に書くことになったか分からないと思います.このような当時の気分も伝える事ができれば幸いです。
最後に、筆者の浅学のため誤っている所もあるかと思いますので、その時は訂正して行きたいと思います。
地名印の誕生
The birth of place name postmarks
郵便印の中でも現在重要な要素である地名印が使用された経緯は興味深いものがあると考えられる。なぜ地名が入った印が登場したかという命題である。答えは増えつづける郵便物の事務処理の向上のため、差出地の判別が容易に行えるようにするためである。
ここではスウェーデンを主体にこの事情を取り上げよう。スウェーデンでは1700年には年間29万通であった郵便は1800年には204万通に達した。それまではペンで必要なことを手紙に記載していたが、もっと効率的な方法が模索された。また、手紙は受取人払いであったため、受け取り拒否にあうと、中を開け差出人を特定する必要があった。このため、差出地が判別できる地名の消印が用いられるようになった。トルン・ウント・タキシスが“SUEDE”(=スウェーデン)と表した地名印を1796年導入した。これは当時ハンザ自由都市であったハンブルグに置かれていたトルン・ウント・タキシスのハンブルグ局が導入したものである。図2に示す手紙はスウェーデンのエーテボリからチロルに1798年4月28日に差し出されたものである。この手紙には郵便印が1個のみであるが、この時期にスウェーデンのエーテボリからチロルへ郵便を送ると郵便印が押される可能性はこれしか無かったためである。差出地のスウェーデンで地名印を持っていたのはこの時期ストックホルムとニーコピングの2局のみで他の多くの局は印そのものが無かった。この手紙はスウェーデン国内を南下し、デンマークを経由してハンブルグのトルン・ウント・タキシス局に渡された。ここはスイス方面郵便ルートが伸びていたためと考えられる。スウェーデンのエーテボリ局では郵便印がなかったため、何も押されていないがハンブルグでは手紙の返却に備えて便利なようにその手紙が来た国の印を使用した。
ちなみにこの時期にハンブルグで活動していたのはスウェーデン、デンマーク、トルン・ウント・タキシス、プロシャ、ハノーバ、メルケンブルグ、シュレスビッヒの7か国(機間)である。。デンマークから来た事がわかる経由印DÆNNEMARK(=デンマーク)は1786年に使用され始めている。また、さらに遡るとトルン・ウント・タキシス局では1697年にはフランスへの郵便物にドイツから来た事を示すDALLEMANGNE印を使用していた。図4にその実例を示す。
このように多くの地名が入った印が使用されたため、北欧各国でも地名印の導入となったと考えられる。最初は1809年にスウェーデンからロシアに主権が移ったフィンランド大公国で1812年にスウェーデン語地名をロシア文字に置き換えた印が使用され始めた。
スウェーデンでは1796年にNORRKOPING局1局に政治的にライン型の郵便印が導入されていた。さらに、1816年にフィンランドへの郵便をやり取りしている地理的に重要なGRISLEHAMN局に地名印が導入された。全国の郵便局に導入したのは1819年である。全国の局と言っても全部で120局にであった。その印が押されたカバーを図5に示す。図5は1819年のマリエスタッド局(これは重要な局で1648年までデンマーク/スウェーデンのスウェーデン側の国境の局であった。図3の地図を参照)からだされた公用郵便(左下のfr.brの記述=別な機会に解説する)である。ノルウェー、デンマークは地名印のみは存在しない。フィンランドは図6に示す。この印はスウェーデン語の読みのヘルシングフォルスをロシア文字に置き換えた印である。これはフィンランドがスウェーデン支配からロシア支配へ以降したことを物語るものである。フィンランド語では現在使用されているヘルシンキであるが、文字数からいっても違うことが分かると思う。
ちなみに、図2のカバーの料金解析が必要である。エーテボリからハンブルグまで1786年から1800年までの料金は9
skilling 6 runstyckenであり、左下の“fco Hamburug”の記述によりハンブルグまでの料金が支払われていた事がわかる。また、赤クレヨンの“8”は不明である(“fco Hamburug”の文字が消されているのと関係があると思われる)が、裏の“9”はハンブルグからチロルまでの不足料金として9
schillingsの料金を表示したと考えられる。当時はスウェーデンからはハンブルグまでの料金しか支払えなかった。
スウェーデンのライン型印について各局印影の一部を図7に示す。
日付印の登場はさらに時間の経過が必要である。スウェーデンの日付印は1830年にあらわれ、全てのライン型の印は一斉に日付印に変更された。
図6 フィンランドのライン印
図7 スウェーデンのライン型印